栗は「果実」で、ミカンやリンゴと同じ仲間

私たちが普段何気なく蒸したり焼いたりして食べている黄色い部分。実は「実」ではなく「種子」だったというのはご存知でしたか?

栗の実はどこか?というと、茶色い固い殻の部分なんですよ。ですから、栗の場合は実を捨てて、種子を食べていることになります。

皆さんは「三度栗」というのはご存知ですか?その名の通り、栗の実が年に三度熟すという伝説が各地にあります。

①静岡県に伝わる伝説

弘法大師の空海が村を通りかかったところ、子どもたちがおいしそうに栗の実を食べていました。お腹が空いていた空海は「自分にも分けてくれないか」と頼んだところ、子どもたちは喜んで空海に栗の実を差し出してくれました。空海は「これからは、この村に三回栗を熟成させてあげよう」と誓いました。

同じ静岡県の伝説

徳川家康が武田軍との戦いに敗れ敗走していた際、とある村にたどり着き、一軒の農家の庭先に転がり込みました。この家に住んでいた老婆に「何か食べるものはないか」と尋ねると、拾ってきたばかりの栗を差し出してくれました。戴いたばかりの栗を食べた家康は、最後の一つを庭先に埋めて「自分の食べた分だけ実るように」と祈ったそうです。

②高知県の伝説

上述した静岡県同様、空海が四万十町を訪れた際に、高い木に実る栗を取れず泣いている子を見てかわいそうに思い、歌詞を詠んだところ、以来その栗の木は年に三度実をつけると言われているそうです。

③新潟県の伝説

巡礼で訪れた親鸞の念仏の礼にと、老女が焼き栗を親鸞に出しました。親鸞は「この栗は一年に三度咲き、実をつけ、葉は一葉にして二葉に分かれて繁殖するように」と唱えてこの栗を蒔いたところ、ホントに芽が出て、年に三度実をつけ、その葉の先は二つに分かれて茂るようになりました。

④岡山県の伝説

こちらも空海のお話で、当地で幼子が空腹のため泣いていたため、かわいそうに思った空海は、子どものために「湧き水」を作ったそうです。食べるものが何もないのに元気そうな子供を見た親が、子どもの飲んでいた水を飲んでみると、なんとお酒だったそうです。泉は枯れてしまいましたが、ふたたびこの地を訪れた空海は、泉が枯れたことを知り、年に三度実をつける栗をこの地に残し去ったそうです。

秋になったら「栗ごはん」。皆さん、ご飯に混じっているのは栗の実ではなく、種子ですよ~。